大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和41年(う)452号 判決

被告人 樋口清香

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年四月に処する。

原審における未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

理由

弁護人山崎辰雄が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

右控訴趣意第二点(事実誤認)について

しかし原判決挙示の関係証拠、就中、原審第一、第七回公判調書中被告人の供述部分並びに被告人の検察官に対する供述調書(昭和四〇年五月一二日付)によれば、被告人は昭和三九年二月初頃の時点においてすでに麻薬中毒に陥つていたことを認めうるのであつて鑑定人沢田藤一郎作成の鑑定書によると、被告人が当時麻薬の施用を受ける際医師に訴えた腹部等の激痛等麻薬を施用しなければならない程度の病変があつたとは思われないとされておるので、被告人の麻薬施用が疾病治療の目的でなされたものとはいえず、麻薬中毒症状を緩和するため本件麻薬の施用をしたことが認められ、所論の如く被告人が生活のため芸者として酒席に出たため以前の手術の癒着部分が痛みこれが鎮痛のためにのみ麻薬の施用を受けたものとは到底認められない。右鑑定書その他原判決の引用する鑑定書は被告人の本件麻薬施用時において被告人が麻薬中毒者であつたことを明らかにするための証拠となりうるものであつて、所論の如き状況下において鑑定がなされた結果であるからといつて直ちに証拠価値を否定するをえず、右の鑑定結果はX線その他薬品等による各種臓器排泄物等の検査がなされた上でのことであつて所論の如く単に問診若しくは触診のみによつてなされたものでもない。そして記録によると、被告人が昭和三八年頃から麻薬中毒症状を呈し同年四月から六月上旬まで医師から麻薬の施用を受けたことで昭和三八年一二月一〇日横浜地方裁判所小田原支部において処罰されたことがあり、身体的には麻薬に対する依存は消失しても精神的な麻薬に対する依存を克服することは極めて困難であることは麻薬中毒者に一般的にいえることで、特に鑑定人松尾典臣の鑑定書により明らかなとおり被告人のように精神病質の意志不安定の者にとつてはまさに然りであるといえよう。それ故前記のように横浜地方裁判所小田原支部において処罰を受けた昭和三八年一二月一〇日以降ともかくも身体的には麻薬施用を慎しんでいたにしても、わずか二ケ月後にはまたも麻薬の施用を受けているのであつて、右のような状態からみて被告人が昭和三八年頃から麻薬中毒に陥つていたとする原判示も一概に誤りであるというをえないのであつて、ただ昭和三九年二月一五日から始まる被告人の本件麻薬施用に関する限りそれはいわば事情にわたり、ことさら判示する要はなかつたものといえるが、もとよりかかる判示が直ちに原判決に影響を及ぼす事実誤認とはならず、その他記録を精査しても原判決には所論の如き事実誤認の違法は存しない。論旨は理由がない。

なお付言するに、もともと本件は後記のとおり麻薬取締法第二七条第一項に違反する罪であるから違反者については麻薬施用者でないことを判示すれば足り、同人が麻薬中毒者であることは罪となるべき事実ではないが、ただ本件は無資格者が麻薬を自己施用した典型的な事案ではなく麻薬中毒者が故ら麻薬施用者の医師に虚偽の訴をし当該医師をして真実麻薬を施用する必要のある症状と信じこませて麻薬の施用を受けたもので、換言すれば、麻薬中毒者が情を知らぬ麻薬施用者を利用した案件であつて、自ら施用したと同じ法的評価を受ける特異な犯罪類型にかかるものであるから、被告人が麻薬中毒者であること、そして本件が麻薬中毒症状緩和のために施用したものであることを判示することは構成要件事実をより具体的に摘示するものとして特に不必要な摘示をしたものとはいえない。

次に職権をもつて調査するに、原判決は被告人が昭和三八年頃から麻薬の中毒に陥つておりその中毒症状を緩和するため、原判決添付の別表(一)ないし(一五)の各年月日欄記載の日時頃その施用場所欄記載の場所において施用医師欄記載の医師に対し胃病等を装つて激痛を訴え情を知らない当該医師をして同表各品名数量欄記載の注射液(原判決添付の別表(六)番号4の数量欄の同右は二・〇ccの誤記と認められる。)を自己の腕に注射させ、もつて不法に麻薬の施用を受けたものであるとの事実を認定し、これに麻薬取締法第二七条第五項、第四項、第六六条第一項を適用していることが明らかである。

ところで本件公訴事実はその基礎的事実関係において右原判決の認定したそれと同一であるが、ただ右のように情を知らない医師をして麻薬を被告人自身の腕に注射させたことをもつて麻薬を自ら施用したというのであり、罪名罰条も麻薬取締法第二七条第一項本文、第六六条第一項が示されている。

原判決がこの見解をとらず、あえて本件を同法第二七条第五項違反としたことについて原判決は特別の説示をしていないが、原判決の認定した基礎的事実関係は本件公訴事実のそれと同一であり、この事実関係をいかなる罰条違反とみるかについて、つまり構成要件的評価について検察官と見解を異にしたにすぎないものと認められるので原審の右判断は公訴事実の同一性を害しないばかりか、罰条も同一であつて被告人の防禦に実質的不利益を生ずるおそれもないので訴因変更の必要もなかつたものとして訴訟手続に法令違反の誤りはないが、次に述べる理由によつて原判決の上記法令の適用は誤りであると認める。

もともと麻薬取締法第二七条第五項は昭和三八年法律第一〇八号麻薬取締法の一部を改正する法律により新たに設けられたものであるが、同条第一項にいう「施用」が他人に対し施用する外に自己施用を含むと解されていたけれども、第三者から施用を受ける行為がこの施用にあたるか必ずしも明らかでなく、特に麻薬中毒者が中毒症状緩和のため情を知つている麻薬施用者から施用を受ける行為についてどの規範の違反になるかについて解釈上疑義があつたため、あわせて改正前の同条第二項、第三項にも関連してこれを明確にする趣旨で設けられたものであつて、本件のように情を知らない第三者から施用を受ける行為を規制するものとしての措置ではなかつたことがうかがえるのである。このことは、新設の第五項の文理解釈からも明らかにしうるところであり、同項は何人も「第一項、第三項又は第四項の規定により禁止される麻薬」の施用を受けてはならないと規定しているので第五項違反の罪が成立するには施用する側についても同条第一項、第三項又は第四項に違反する行為が成立する場合でなければならないことが看取されるのである。

それで、麻薬中毒者が中毒症状を緩和するため施用を受けるものでありながら、これを秘し故ら麻薬施用者たる医師に対し虚偽の病状を訴え当該麻薬施用者をして真実治療に麻薬施用を必要とする症状と信じさせて麻薬の施用を受けた場合の如く麻薬施用者について麻薬取締法第二七条第三項、第四項違反行為が成立しえない場合には受施用者については本条第五項違反の罪を構成するものではなくこのような麻薬施用者の行為を利用し自ら施用したものとして同条第一項違反の罪が成立するものと解するを相当とする。

これを本件についてみるに、被告人は麻薬中毒症状を緩和するため胃病等を装つて激痛を訴え、情を知らない医師をして麻薬注射液を自己の腕に注射させたというものであるから、麻薬施用者たる医師は被告人の虚偽の訴により治療のため真実麻薬の施用を必要とする症状と信じて専ら疾病治療の目的をもつて麻薬を施用したものと認められるので、当該麻薬施用者の麻薬施用について麻薬取締法第二七条第三項、第四項の違反はなく、従つて被告人が同条第四項に違反した麻薬の施用を受けたというをえないので被告人につき同条第五項違反の罪は成立せず、かえつて情を知らない第三者を利用し自ら施用したものというべきであるから同法第二七条第一項の違反罪を構成するものといわねばならない。

すると、原判決が右被告人の所為につき麻薬取締法第二七条第五項、第四項、第六六条第一項を適用したのは法令の適用を誤つたものというべくこの誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるから原判決は破棄を免れない。

なお、麻薬中毒者が麻薬中毒症状を緩和するため偽つて情を知らない麻薬施用者から麻薬の施用を受けた場合は麻薬取締法第二七条第一項の罪を構成し同条第五項違反の罪を構成するものでないこと前記のとおりであるから、原審が同条第五項違反に符号する事実を認定しこれに同条項を適用していても、それによつて同条第五項違反の罪が確定されたのではなく、同条第一項違反の事実が確定されているものと解すべきであるから、本件では未だ理由喰違の違法はなく、ただ法令適用の誤りがあるにすぎないものというべきである。

弁護人の控訴趣意第一点(法令適用の誤り)について

原判決が被告人において複数回の麻薬の施用を受けた先の医師毎に別表(一)ないし(一四)をまとめ、これを一表毎に包括一罪と認め、包括一罪とされた右(一)ないし(一四)の罪を併合罪にあたるとしていることは所論のとおりであり、また、原判決は別表(一五)においても各施用を受けた医師毎に一個の罪としてこれらの罪もまた前記別表(一)ないし(一四)の罪と併合罪の関係にあるとして刑法第四五条前段、第四七条本文第一〇条を適用していることが認められる。しかし、麻薬中毒者が麻薬中毒症状の緩和のために麻薬の施用をする場合にはその継続した期間の施用を包括的に観察して一罪として処断すべきものと解すべきである。けだし、中毒症状は慢性であるからこの症状を緩和するためには単に一回限り施用するにとどまらずむしろ継続して施用するのが常態であり、多数回の施用は特に犯意の中断を認むべき特段の事情がない限り単一意思の発現と認めるべきであるからである。本件において、被告人は麻薬中毒者でその中毒症状を緩和するため昭和三九年二月一五日から同年一二月二一日まで七五回にわたり、ほとんど引き続いて樋村和博外一九名の麻薬施用者の医師を偽つて麻薬の施用を受けたもので施用を受けた先の医師も頻繁に次々ととりかえほとんど自己の住所も氏名も偽つており、このような受施用の態様に照らし、被告人の犯意は一回性のものではなく、むしろ継続性をもつた単一のものであると認められ、麻薬の施用を受けた先の医師こそ多数で異つているといつても本質的にはこれらの麻薬施用者は情を知らず被告人に利用されいわば被告人の手足となつて被告人に麻薬を施用してやつたというのであつて、いずれも被告人自身で麻薬を施用したと同一の法的評価をされているという同一事情の下に行われていて、いずれも同一の犯罪構成要件に該当しその向けられている被害法益も同一と認められるので本件はすべて包括して一個の麻薬の施用というべきである。すると、原判決が、被告人の複数回麻薬の施用を受けた医師毎に包括一罪とし、或いは一回麻薬の施用を受けた医師毎に単一の罪を認め、以上を併合罪にあたるとして上記併合罪関係の法令を適用したのは犯罪の個数についての法的評価を誤り、法令の適用を誤つたものというべく、この誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるから原判決は破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

そこで当裁判所は弁護人の控訴趣意第三点(量刑不当)についての判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項により原判決を破棄した上同法第四〇〇条但書に従い更に判決をすることとする。

原判決の確定した事実(但し原判決添付別表(六)番号4の数量欄の同右を二・〇cc、番号5の同欄同右を一・〇ccとそれぞれ訂正。)に法令を適用すると、右は前説示のとおり包括一罪であつて麻薬取締法第二七条第一項、第六六条第一項に該当するので所定刑期範囲内において被告人を懲役一年四月に処し、刑法第二一条により原審における未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入し、原審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書に従い被告人には負担させないこととする。

なお、本件起訴は二回にわたつてなされており、これを包括一罪と解するときは訴因変更を要するか否かとか二重起訴の問題を生ずるが、本件は併合審理した結果両者を包括一罪と認定して処断する場合であるから、訴因変更の手続を要せずまた後訴の公訴棄却を言渡すことを要しないものと解する。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 岡林次郎 生田謙二 佐竹新也)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例